トゥーレット・シュル・ルー
30年くらい前のこと、
トゥーレットゥには芸術家が集まると聞いて行ってみました。
ヴァンスかグラースからバスが出ているらしいのですが、よく分かりません。面倒だからピポに頼んで行きだけ連れていってもらいました。

全景
                    トゥーレット・シュル・ル―
やはり「鷲の巣村」の1つです。
村の広場に着くと、芸術家が集まるどころか静まり返っています。広場の片隅にあるバス停のベンチで、身振り手振りを入れながら世間話をしている2人の老婦人と、その傍らで昼寝をしている小柄な黒い犬以外だれも見えません。
よく考えてみれば、こんな真冬に芸術家など集まってくるはずがありません。
しかたなく、自分に納得するよう言い聞かせ、広場の向いにあるカフェで一休みすることとしました。
数人の客が世間話をしていましたが、私が入っていくと一瞬話しを止め、私の方に視線を向けました。
キャンバスを抱えた変な外国人が来たと思ったのでしょうが、私がフランス語で飲み物を注文するのをたしかめると、「どこから来たのか?」「何をしに来た?」「ここはいい村だろう?」「どこに滞在しているのか?」・・・など、カフェで聞かれるお決まりの質問ですが、地元の人と話すのが好きなので愛想良く答えました。

閑散とした村ですが、絵のモチーフとしてはけっこうおもしろい村です。
観光地でないためか、村の中を歩いてもサン・ポールのように飾り立てられた雰囲気は全くなく、南フランスのどこにでもある古い村です。

この村も、少し離れて全景を眺めるとおもしろい絵が描けると思います。
私が描いていると、そばにあった自動車修理工場の旦那がちょくちょく来ては覗き込み、進捗状況をチェックしていきます。
時々ひどいなまりのフランス語で何か言うのですが、全く解りません。
何とか2枚の絵を描きあげ、日も暮れ始めたのでサン・ポールに戻ることにしました。

街角

街角

バスがまだあるかどうか分かりませんが、とりあえず広場に戻りました。
バス停にはだれもおらず、少なくとも当分の間はバスが来る気配はありません。
ひょつとすると今日の最終バスは既に出てしまったのかもしれません。フランスの田舎では、一日にバスの便が2往復などということも珍しくなく、バスがあるだけまだましです。

広場の隅の建物に「タクシー」という表示がありました。
それを見たとたん、もうバスを待とうという気持ちはすっかりなくなってしまっていました。
しかし、どこを探してもタクシーなど1台もありません。タクシーどころか普通の車ですらたまにしか走っていないのですから・・・。その表示近づいてみると、「タクシーを利用したい人はこのブザーを押して下さい」とありました。
力を込めてブザーを押すと、頭の遙か上の窓から中年の婦人が顔を出し、「どこまで行くのか」と大声で尋ねてきました。「ヴァンスまで行きたい」と告げると、婦人はニッコリと微笑み、顔を引っ込めました。
電話でタクシーを呼んでいる声が聞こえ、再び顔を出すと、「20分ほどで来ますから、広場で待っていて下さい」と微笑みました。
やれやれと思い、広場のベンチで南フランスの夕暮れをベンチで眺めながらタクシーを待つことにしました。
異国の地で見る見事な夕焼けを眺めていると、さきほどまで私が絵を描いていたあたりから、なんと1台のバスが登場しました。
やがてバスはゆっくりと広場を回り、停留所で止まりました。
エンジンを切らないので、すぐに元来た道を引き返す気配です。
運転手は私の方を見て、「乗らないのか」と目で尋ねました。何しろ停留所のバス停のベンチには私しか座っていないのだから無理はありません。
乗りたい気持ちを抑えて、バスなど待っているのではないという素振りでタバコに火をつけ、赤く染まった空を眺めました。
バスが出た数分後、タクシーが来ました。
唯一のなぐさめは、途中でバスを追い越してくれたことです。
「南フランスに魅せられて」(近代文芸社)より抜粋