マントン
20135月、久しぶりにマントンを訪れました。
何度か描いたことのある町です。 また、絵を描くことなく単なる観光で訪れたこともあります。
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月のレモン祭りの時に来たこともありました。
今回はすぐ隣のモナコ・モンテカルロで有名なカーレースが開催されているとあって観光客も多いように思います。。そのため、テロに備えて駅などは厳重な警戒態勢がとられていました。
なんでも、アメリカ人グループがテロを計画しているとかいないとか・・・。

昔とあまり変わっていませんでしたが、18年前に絵を描きにきた時と比較すると駅舎はすっかり変わっていて立派になっていました。昔は坂の上にみすぼらしい駅舎が立っていたいのですが・・・。

描く場所はやはり港に突き出た埠頭からにしました。旧市街を振り向いた風景は素晴らしいです。 がしかし、太陽の位置が刻々と変わるため、建物の壁の色がすぐに変わってしまうのが厄介です。
比較的大きな町なので描いているとギャラリーも多く感じます。

マントン マントン
          マントンの港にて

マントン
                        マントン 油彩 P10
 

以下は1995年著「南フランスに魅せられて」(近代文芸社)より

ニースの東にマントンという町があります。
1986
年に気の合う仲間のT氏とこの町を訪れて描きました。
彼とは初めての外国旅行であり、彼にとっては初めてのヨーロッパ旅行でした。私の旅行は旅行社が企画するものでなく、すべて自分で計画を立てて、いろいろな手配もすべて自分でやらなければなりません。
私は彼が南フランスに満足してくれるかどうか心配だったが、いくつかの村を訪れ、本当に喜び、満足してくれたのでほっとしていました。

コートダジュールでの最後の日の夜、イタリアのヴェンティミリヤ(国境の町)から寝台列車「トラン・ブルー」でパリに向かう予定でした。
時間がだいぶあったので、迷ったあげくこの「マントン」の町に行くことにしてニースを出発しました。
モナコ・モンテカルロを過ぎると間もなく「マントン」に着きました。駅は小高い所にあり、新市街と旧市街に分かれています。思ったより落ち着いていいところです。
サン・ミシェル通りをどんどん東に向かうと、旧市街を抜けて港に出ます。
海岸にはいくつかの桟橋があり、豪華なヨットがずらりと係留してあります。桟橋の中間から町を振り返ると、旧市街の家並みの裏にサン・ミシェル教会がそびえ、素晴らしい景色です。空腹も忘れ、しばらく絵を描いていました。ある程度しあがったので、店じまいして昼食をとろうかと思うと、T氏がハンバーガーとコーラを仕入れてきてくれました。
おかげで、それを食べながら続けて描き上げることができました。

しかし。まったくフランス語が分からないT氏がハンバーグを買う光景を想像するとおもしろい。きっと身振り手振りをまじえて日本語で言ったに違いありません。
しかし、彼の日本語はフランスで通じるのです。買い物を値切るのも実に上手です。「そろばん」ならず、電卓片手に店主と日本語で交渉し結局勝利します。
私の片言フランス語では及びもつきません。

絵を描きあげて駅に戻ってみると、イタリア方面行きの列車がしばらくありません。
駅の脇にあるカフェでビールを飲みながら時間つぶしとなりました。

「トラン・ブルー号」はこのマントンにも止まるので、わざわざ始発駅のヴェンティミリアまで行く必要はないのですが、時間もあるので予定通りヴェンティミリアに行って出発時間まで本場のスパゲティでも食べながら待つこととしました。
国境のトンネルを超えるとすぐにヴェンティミリアの町に着きます。
正確には到着ホームはまだフランスで、ホームの地下連絡通路に国境警備員が一人詰所にいます。
パスポートを提示しても見ようともせず、ただニコッと微笑んだだけ・・・。
駅舎に入ると母音のはっきりしたなめらかなイタリア語のアナウンス聞こえてきました。イタリアだ!

まだ、「トラン・ブルー号」が発車するまで2時間あります。
来る途中の車窓から海側に素晴らしい旧市街が見えていたので、行ってみようとしばらくその方向に急ぎました。
しかし、時すでに遅く、近づくと暗闇が迫ってきました。
結局その時は目指す市街に行くことはできませんでしたが、いつの日かまたこの町に来てみよういうことでT氏と意見が合いました。(以来2010年に2人で再び訪れて実現しました)