四国歩き遍路 香川編 |
4月2日
新幹線を乗り継ぎ、岡山から在来線特急で午後2時頃観音寺駅到着しました。
観音寺は既に売っているので、駅前の道を北へ向かい、財田川沿いに本山寺に至る遍路道を進みました。

財田川沿いに進む
観音寺から約4.5kmの道のりなので、約1時間少々で第70番札所の本山寺(もとやまじ)に到着。
本山寺は五重塔がある立派な寺で、本堂は鎌倉時代のもので国宝、仁王門も室町時代のもので国の重要文化財とのこと。
五重塔は明治時代の建立らしいですが、五重塔があるお寺さんは88札所でもさほど多くはありません。

本山寺仁王門 本山寺五重塔
今日の宿は、本山寺のすぐ脇にある「一富士旅館」。
大変に歴史を感じる遍路宿です。この日の宿泊客は私だけでした。
2階の広い部屋で、ゆっくり休めました。ただ、トイレはウォシュレット無しです。

一富士旅館

一富士旅館部屋 一富士旅館夕食
本日の歩行距離…4.5km
一富士旅館…7,100円(1泊2食、お酒2本 〉
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4月3日
まずは朝食!

一富士旅館朝食 遍路道
今日は国道11号線あるいはそれに沿った旧道を進み、善通寺市まで歩く行程です。
まずは本山寺を後に国道沿いを約3km歩きます。その後は旧道に入り、弥谷寺(いやたにじ)に向かいます。
いよいよ弥谷寺に近づくと道は細くなり、山道となります。どうしてこんな山の上にお寺を立てるのかと坂道を呪いながらどんどんと山を登っていくとやっと第71番札所弥谷寺の仁王門が見えてきます。本堂までの階段はまだ500段を越えるのでかなり疲れますが、境内からの眺めは素晴らしいです。

弥谷寺山門 本堂への石段

弥谷寺本堂 境内にて
御朱印をもらって小休止していると、同じような大きなザックを担いだお遍路さんがやってきました。聞くと、2月10日から順打ちで歩いているとのこと。今日は善通寺の宿坊に泊まる予定とのことでした。
次の曼荼羅寺へはちょっとだけ戻ったところから道しるべに従って竹林の中を進みます。登りはないので快調に歩くことができます。山を下りて、高速道路の下をくぐり、池に沿って進んでいくと、ほどなく第72番札所曼荼羅寺に着きます。

曼荼羅寺山門 曼荼羅寺境内
次の第73番札所出釈迦寺までは丘を登って行って数百メートルです。
この出釈迦寺から<
もっと山に進むと奥の院があり、大昔は曼荼羅寺の奥の院として札所だったそうです。でも、今日は奥の院にはいきません。(疲れるから)

出釈迦寺への坂道 出釈迦寺山門

出釈迦寺にて
丘を下って曼荼羅寺前に戻り、道しるべに沿って遍路道を進んでいると、後ろから来た女性お遍路に追い越されました。二言三言言葉を交わしたのですが、年は40歳前後の人のように見えました。軽快に歩いて行きました。全然追いつけません。やがていくつかの路地を曲がったりしているうちに見えなくなってしまいました。今回の旅では歩き遍路の人達がかなり少ないように思います。やがて第74番札所甲山寺に到着しました。

甲山寺山門 甲山寺
この地は、空海が幼年時代を過ごしたいとのことで、空海が岩窟内に祀ったと言われる毘沙門天が多聞天堂内にあるとのことです。近くには「甲山」という小さなやまがあります。
甲山寺からは善通寺市郊外の遍路道を1.6kmで第75番札所善通寺に着きます。
第75番札所善通寺は大きなお寺です。空海はこの地に生まれたとのこと。伽藍は、金堂(本堂)や五重塔がある東院と御影堂などがある西院に分かれています。棟院の南大門近くに大きな楠がありました。(天然記念物らしい)

善通寺五重塔 善通寺
善通寺は宿坊もありますが、今日は市内のビジネスホテルに宿泊しました。
「ステーションホテルさくらや」というホテルで、食事はありません。

ステーションホテルさくらや さくらやの部屋
仕方なく、夕食は善通寺市内のどこかで食べようと思い、ホテルで教えてもらった居酒屋に行って見たら、今日は予約で満席とのこと。しかたなくどこか食事ができるところがないか歩いてみたのですが、まったくありません。
ホテルに戻ろうとしたらやっと一軒の焼き肉屋がありました。
何とか夕食にありつけましたが…やはり焼肉は「高い」! ロースだのカルビーだのと頼んで一杯やったら4000円も使ってしまいました。明日は節約しよう!
本日の歩行距離…32.9km
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4月4日
今日は善通寺を出発して、まずは金倉寺に向かいます。
ホテルを出てから土讃線の踏切を越えて、県道25号線に沿った旧道の遍路道を進みます。
平地でこうした国道や県道に沿って旧道がある場合は、ほとんどその旧道が遍路道になっています。その遍路道は車もめったに通らないので歩きやすいのですが、困ることもあります。店が無いので、水やちょっとした食べ物を買ったりできません。トイレにも困ります。
国道・県道を歩いていればコンビニがあるので助かるのですが……。
遍路道を歩くこと約1時間、第76番札所の金倉寺(こんぞうじ)に着きます。
このお寺は珍しく天台寺門宗です。明治時代の一時期に乃木希典が住んでいたそうです。

金倉寺山門 金倉寺本堂
金倉寺の駐車場から出て、次の道隆寺に向かいます。
車の通らない農道が遍路道になっていて、道標を見落とさないように注意しながら右に左に曲がりながら進んでいくと、葛原正八幡神社があり、回り込んでさらに農道を北に向かいます。
もう、道隆寺が間近な住宅地を歩いていると、一軒の住宅から「お遍路さーん」と呼ぶ声が聞こえました。振り向くと、その家からおじいちゃんが出てきて、小さな「お地蔵様」をいただきました。息子さんが陶芸家で造っているとのことで、中が空洞になっていて、中に「参拝記念にどうぞ」とありました。お礼を言って道隆寺に向かいました。

葛原正八幡神社 お地蔵様
金倉寺から約1時間で第77番札所の道隆寺(どうりゅうじ)に着きます。
道隆寺には255体の観音像が祀られており、立派な多宝塔もあります。

道隆寺 道隆寺多宝塔
道隆寺を出ると、すぐ裏手の県道と思われる片側1車線の道を東に向かってひたすら歩きます。ところどころ歩道が無い個所もあり注意しながら進みます。
丸亀市内に入ると歩道が完備されています。左手に城壁の上に立つ丸亀城の天守閣を仰ぎながら進みます。

丸亀城
途中、コンビニでカツ丼を買って昼食としました。
宇多津の町に入り、地蔵堂という小さなお堂を過ぎたところで右に入ります。小さな道なので、道標を見落としそうです。道標に沿って進めばすぐに第78番札所の郷照寺に到着します。

郷照寺 郷照寺の庭
郷照寺の大師堂脇に桜の木の下に観音様が立っています。その下に万体観音堂があります。
その下に入ることができ、約一万体の観音様が祀られています。庭園もきれいでした。

万体観音堂 無数の観音像
今日はまだあと2か所回ります。
郷照寺をあとに旧道の遍路道をさらに東に進みます。
坂出の町を過ぎ、ひたすら歩きつづけます。だいぶ荷物が肩に負担となってきました。出発前に無駄なものは一切持って行かないことにしたのですが、携帯パソコンを入れたので少々重くなってしまいました。
郷照寺を出てから約1時間半、第79番札所の天皇寺に到着しました。

天皇寺 すく脇の白峯宮
近くに、ところてんで有名な「清水屋」というのがありますが、時間が無く寄れませんでした。
清水屋
天皇寺から更に遍路道を東に進み、途中から国道11号線を歩きます。国分寺の町が眺められる陸橋を左に下り、道標に沿ってさらに農道を進むと第80番札所の国分寺に到着します。
国分寺は大きなお寺で、本堂や梵鐘は国の重要文化財とのことです。

国分寺
今日はよく歩きました。
今日の宿は国分寺から国道に出て、東に約300mほどのところにある「国民旅館せと」。
宿泊客は私のほかいませんでしたが、夜になってから夫婦が一組来たようでした。
夕食は私だけ。

国民旅館せと 国民旅館せとの夕食
一泊2食付き…5,800円
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4月5日
今日はきつい一日になりそうです。山を2つ越えなければなりません。
そんなわけで、朝食を六時半にいただき、宿を7時に出発しました。
山に入る前に、自動販売機でアクエリアスを1本購入。
山に向かってどんどん高度を上げます。途中では桜が見事に咲いていましたが…息が切れてゆっくり鑑賞する気になれません。まずは標高370mの地点を目指して登ります。四国では標高がほぼ0mからの登りなので、標高=登る高度です。

山に向かう遍路道 山桜
370m地点から一度少し下り、今度は標高400mまで登ります。
そのあとは何度か上り下りを繰り返しているうちに白峯寺に到着です。

白峯寺の石段 白峯寺
白峯寺をあとに根香寺に向かいます。
山の尾根沿いに続く山道をやはり登ったり下りたりを繰り返しますが、標高440m地点で一度県道に合流します。
ここに「みちくさ」という食堂があり、うどんでも食べたいな~などと思ったのですが、菓子パンを1つ持っていたので誘惑に負けず、素通りしました。

根香寺への遍路道
再び県道を外れて山道に入り、しばらく下ると第82番札所の根香寺(ねごろじ)に到着します

根香寺山門 根香寺

枝垂れ桜
根香寺から山を下ったところが、鬼無(きなし)という所で、本当はこの辺に宿があればよいのですが……。
歩き続けて次の一宮寺に向かいます。
この鬼無から一宮までは細い遍路道が右に左に曲がって行くので、道標を見落とさないように注意して歩くことが必要です。
鬼無を過ぎて飯田という地区には立派な遍路休憩所がありました。土日はお休みということで、残念ながら鍵がかかっていました。

飯田の遍路休憩所
細い道をどんどんと進み、県道12号線の歩道橋を渡るとまもなく第83番札所の一宮寺(いちのみやじ)に到着します。

一宮寺山門 一宮寺
今日の宿は一宮寺から近い「天然温泉きらら」です。
温泉施設なのですが、敷地内に宿泊棟があり、宿泊もできます。宿泊者は大きな温泉に何度でも自由に入れます。施設にはレストランもあり夕食、朝食はそのレストランでとれます。

天然温泉きららの宿泊棟 天然温泉きららの部屋

部屋にはキッチンもついています レストランでの夕食
夕食を終えて宿泊棟に戻ると、遍路と思われる人が洗濯機を使っていました。よく見ると、ここ2~3日札所でよく一緒になっていた茨城から来たお遍路さんでした。同泊となったのは初めてで、いろいろ話しましたが、明日は志度まで行ってその翌日は大窪寺に向かうとのことでした。 私より1日早いペースで歩くようです。
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4月6日
今日は高松市を横断して、屋島寺、八栗寺を打つ予定です。
朝7時20分に天然温泉きららを出発、まずは国道をひたすら高松市の中心部に向かって歩きます。完全に歩道が分離した道なので心配ありません。四国の遍路道で、こうした都会を歩くコースは、松山市とこの高松市です。
道沿いにはコンビニや食堂、レストランなどがたくさんあるので、水や昼食の弁当などをザックに入れて歩く必要はありません。
ということで、昼食はうどんを食べました。ぶっかけうどんに油揚げ、サツマイモの天ぷらで480円。とてもうまかった!
ぶっかけうどん
高松市内の国道を歩いていると、私のすぐ前に白い高級車が泊まりました。後部の座席から背広姿の男性が降りてきて、「お接待させてください。」と言いながら、小さな紙包みをくれました。合掌してありがたくいただきました。中には現金で千円入っていました。

屋島寺への遍路道 屋島寺本堂
屋島寺は山の上にあります。覚悟はしていましたが、やはり登りはきつく感じます。2年前に登った時に比べると明らかにペースが遅くなってしまいました。それでもなんとか頑張って登り切りました。
蓑山大明神という狸を祀った神社がすぐ脇にあります。
境内の東脇には、血の池というのがあります。源平合戦の際に刀をこの池で洗ったため、赤く染まったとのことです。

蓑山大明神 血の池
次は八栗寺に向かいます。時計を見るともう2時半を過ぎています。急がないと!
屋島寺からの下りはかなりきつく、急な下り道です。一気に280mほど下って、しばらく海に沿って住宅地を歩き、再び同じくらい八栗寺のある山に登らなければなりません。
下りは特に滑らないように注意しないと転倒してしまいます。一歩一歩注意深く下っていると、下から「逆打ち」のお遍路さんが1人登ってきました。私より少々若そうな人ですが健脚でした。
何とか4時半には八栗寺に到達できました。午後5時には納経所が閉まってしまうので心配していたのですが…何とかなりました。八栗寺の登りはケーブルカーを利用することもできます。
到着したのが少々遅かったので、境内は静まり返っていました。

八栗寺参道 八栗寺
今日の宿は八栗寺から下りてきたところにある旅館髙柳です。
旅館と言っても小さな旅館です。夕食の提供はなく、近くの「山田家」といううどん屋で食べました。

山田家うどん 天ぷらうどん

旅館髙柳 旅館髙柳の部屋
旅館髙柳……5,500円(一泊朝食付き) 洗濯機・乾燥機の使用は両方で300円
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4月7日
旅館髙柳の朝食
昨日のうちに八栗寺を打っていたので、今日は志度寺から長尾寺まで行く予定です。
宿の旦那が志度寺までの地図をくれたので、その地図に従って讃岐牟礼まで行けば遍路道に合流します。宿の前にある貯水池を回り込んで出発しました。
迷うことなく一時間も歩くと遍路道に合流しました。あとは道標に従って歩くだけです。
志度町を歩いていると、平賀源内の生家がありました。四国の人とは知りませんでした。まだ時間が早すぎて、中には入れませんでした。

平賀源内の生家 志渡寺に到着
志度町は小さな町です。町の東端に第86番札所の志度寺があります。五重塔もあり、庭が広いお寺です。丁度、庭の工事をやっており、プルトーザーが土を掘り返していました。
五重塔は昭和になってから建てられたようです。

志渡寺五重塔 志渡寺本堂
志度寺から長尾寺までは7km。2時間弱で歩ける距離です。
県道沿いに歩いていると、うどん屋を見つけました。時間もお昼なので、さっそく入りました。
注文したのはいつものように「ぶっかけうどん」。それから、サツマイモとエビの天ぷらを頼みました。四国で食べるうどんは本当に安くてうまいと思います。
ぶっかけうどん
元気が出たところで、長尾寺に向かって出発しました。平地なので歩きも楽です。

長尾寺
本当は長尾寺に泊まって、翌日に大窪寺を目指したかったのですが……。宿がありません。
本来は三軒くらいあるのですが、改築中であったり、コロナウイルスの影響で休館中だったり、オーナーが年で廃業してしまっていたり……。
仕方なく、電車で高松市へいき、高松駅近くのビジネスホテルに泊まって、明朝また電車で長尾まで来て大窪寺を目指すことにしました。
ホテルは駅前の「ホテル・エリアワン」というホテルで、値段の割には設備の整ったホテルでした。
エリアワンの部屋
夕食はホテル近くのラーメン屋で一杯飲みながらいただきました。
一泊素泊まりで5,000円
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4月8日
6時47分の琴電の長尾行に乗り込みました。
私と同じように高松に泊まって、大窪寺を目指すと思われるお遍路さんが私のほか2人いました。
そのうちの一人は女性で、よく見ると…甲山寺のあたりで私を追い越していった女性お遍路さん、もう一人は私より若い(50歳くらいか?)男性遍路でした。
女性遍路は長尾駅に着くとすぐに遍路道に入り、歩いて行ってしまいました。男性遍路はまだ長尾寺を打っていなかったのか、姿がみえなくなってしまいました。

女体山への遍路道 一心庵
一緒に歩くわけでもないので私も歩き始めました。駅から約40分で一心庵に着きますが、先が長いので素通り。 どんどん歩いて行くと、やがてダムが見えてきます。そのダムを回り込んだところに道の駅があり、その手前に「遍路交流サロン」があります。
このサロンで、歩き遍路には完歩のメダルがもらえます。2年前に立ち寄ってもらってあるので、今回はここも素通りしました。

遍路交流サロン 沢沿いの遍路道
さらに進んでいくと、女体山は左に、という道標があります。道標に沿って済むと、いよいよ山道となります。
1時間くらい登っていくといったん林道と合流するのですが、ここからまだまだ登りは続きます。
女体山山頂が近くなると、一層傾斜はきつくなります。場所によってはまさによじ登ることになります。
やっとの思いで山頂に到達! 長尾付近に比べて風も冷たく感じます。

一休み 女体山へのキツイ登り
女体山頂からは下りとなります。下りは一層気を付けないと!
30分も下ると、やっと第88番札所の大窪寺です。

大窪寺
女体山頂経由の遍路道を選びましたが、雨の場合は危険ですので、少々等まわりになりますが、車道の遍路道を選んだ方が良いと思います。
第88番札所の大窪寺は結願の札所とあって他の札所に比べると参拝者がいました。
大窪寺で御朱印をいただき、門前の店でうどんを食べて、長尾行きのバス停に行くと、朝の電車で一緒だった女性遍路と男性遍路も既にバスを待っていました。女性遍路は私と同じコースを、男性遍路は私とは別のコースを歩いてきたようです。
こうして2年前に徳島の霊山寺から歩き始め、四回目の歩き遍路の旅で第88番札所の大窪寺まで1,200kmを歩き終えました。お疲れさまでした。
この後、和歌山県の真言宗総本山の高野山に行ってきます。

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4月10日
四国の高松から高速バスで大阪難波に向かい、南海電車で高野山に着きました。
さっそく、まずは奥の院に行ってみました。観光客はちらほらといる程度でとてもすいていました。
四国札所の遍路を終えたことを告げて参拝し、御朱印をいただきました。奥の院の中は残念ながら写真撮影が禁止されていたので参道のみを撮ったのですが……いろいろと著名人や歴史上の人物の墓があるとのことでしたが、あまり時間が無くその墓を探すことはできませんでした。なにしろ墓が多くて…!

高野山ケーブルカー 奥の院
次に歩いて金剛峯寺に行き、参拝してきました。
建物の中も見学してきました。

金剛峯寺 金剛峯寺内部
本日の泊りは西禅院というお寺の宿坊。(高野山にはお寺がたくさんあります。お寺だらけ)

西禅院 西禅院の部屋
西禅院の夕食
宿泊客は私一人でした。きれいな宿坊ですが、部屋が広すぎて、エアコンをつけてもなかなか暖かくならないので参りました。夕食はもちろん精進料理。お酒を頼んだのですが…熱燗1本700円。少々というかかなり高いので1本で止めておきました。お大師様があまり飲むなということなのでしょう。(四国ではだいたい1本300円程度だったのですが…)
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