ゴルド
このゴルドの村には特別の思い出があります。
1995年1月17日。その日、私は絵の仲間2人と一緒に南フランスのプロヴァンス地方にいました。
コートダジュールで数日過ごした後、レンタカーを借り、プロヴァンスにやってきました。
アヴィニォンからカヴァイョンまで南下し、そこからアプトに向かってヴォークリューズ山地に入るとゴルドの村が左手に見えてきます。

ゴルド
             ゴルドの村

頂上に古い城がある素晴らしい村です。
ピーター・メイル氏の「プロヴァンスの12か月」のヒットのせいか、この地方を訪れる観光客が爆発的に増加しました。日本の方々もツアーを組んで観光バスで訪れるようになりました。
しかし、この地方の村々には団体客を収容できるようなホテルはなく、多くの日本の方々は観光バスで村々を駆け足で回り、アヴィニォン、マルセイユ、リョンへと向かっていくようです。
私は、のんびりとその村々に滞在しないと気が済まないので観光バスでの旅行は向きません。

ボニュー付近 ゴルド
      ボニュー付近                    ゴルド

ラコスト、ボニュー、ルション等をスケッチし、ゴルドの村に入りました。
この村は2度目だったのですが、季節が1月なので営業しているホテルが見あたらないので困りました。
村に入るだいぶ前から私のすぐ前を走っている車も旅行者らしく、ホテルの看板があるたびに車を止めて営業しているかを確かめていました。その後すぐに我々が全く同じ様な行動をとっていました。
数件のホテルを当たりましたが、すべてクローズとなっているため、彼らは諦めて別の村へと去っていったようです。

我々は特に次の村への予定もなかったので、城のすぐ前にあるカフェ(唯一営業していたカフェ)で一休みすることにしました。

カフェの旦那にホテルがあるか聞いてみると、「あるよ、ここがそうだ。ただし2部屋しかないが・・・」と言います。2階がホテルになっていました。
しばらく客はなかったらしく、水道の蛇口をひねると、茶色い水がしばらく出ました。
部屋のすぐ下が、カフェ兼バー兼レストランというのは大変都合がいい。
夕食時間に下のバーに降りて行くと、数人の客がいました。いずれも土地の顔なじみらしく、大きな声で話しをしながらパスティスをあおっていました。


我々もパスティス(1人は女性だったので、彼女はジュース)で乾杯! しばらくすると客の連中とも意気投合してしまいました。カヴァイョンの水道工事人、村のお土産屋の旦那、学校の先生などなど・・・。
ネギのたくさん入った奇妙な料理(ラタトゥイユ風)をつまみながらよく飲み、その夜はぐっすりと寝てしまいました。

明け方のまだ真っ暗な時間に、連れの女性が我々の部屋のドアをたたきました。
何事か、と思い寝ぼけ眼で出てみると、何か解らないけど大変な事がジャポンで起きたとテレビが言っているようだという。
すくに部屋のテレビのスイッチを入れてみた。それは神戸の大震災でした。
早朝から、すべてのチャネルでこの大震災を報道していました。
地方紙

地方紙でも一面トップで報道していました
心配そうに宿の旦那が上がってきて、「すぐに日本に電話しろ」と言います。
早速、家に電話で確かめてみると、幸いにも関東地方は何の被害もないとのことで一安心したのですが・・・。しかし、新聞やテレビで報道されるその惨状を見て心が痛みました。

その後訪れた村々で、我々が日本人だと分かると、いろいろな人達が被災情報等を提供してくれました。
そして、とても親切な人達でした。
 (1995年筆)


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