アヴィニョン
これは私がとても若かった時の話です。

2005
年春、ローヌ河をはさんで有名なアヴィニォンの町の対岸にある小さな町、ヴィルヌーヴ・レ・ザヴィニォンを基点にプロヴァンスを訪れました。
数年前からマルセイユに住む女性とメールの交換をしていたのですが、プロヴァンスを訪れる計画をメールで送ると、是非案内したいという返事が来ました。
しかし、彼女に実際に会ったことはないし、写真も見たことがありません。果たして本当に会うことが出来るか、心配しながら成田を出発しました。

待ち合わせの場所は、アヴィニォン法王庁前の広場で午前10時でした。
私達は10時少し前に広場に着いたのですが、それらしき人は見当たりません。彼女はお嬢ちゃんを一緒に連れてくるとのことだったので、子供づれの婦人がいないか探したものの、見当たりませんでした。
15
分ほどたった頃、小さな女の子がプラカードを手にかざして、母親とともに広場の端から駆け寄ってきました。そのプラカードには「Monsieur YAMADA(ムッシュー山田)」と書かれてありました。その心遣いに涙が出るほど嬉しく思いました。
セシリアと

何はさておいて無事に会うことが出来ました。
聞くと、彼女がマルセイユを出て高速道路に入ったとたんに大雨となって渋滞してしまい、遅れてしまったとのこと・・・。
ペロー

その日は一日、アヴィニォンの町を案内してくれました。
法王庁、アヴィニォンの橋、旧市街と一緒に見学したと思います。
聞くと、彼女はマルセイユ育ちで、アヴィニォンはあまり詳しくないとのことですが。当然私よりもとても詳しい。(彼女の夫はアヴィニォン近くで生まれたのでもっと詳しいらしい。)

その翌々日、我々がマルセイユに移動した後、また我々に付き合ってくれました。
マルセイユについては、別のページ(マルセイユ)で紹介していますが、10年前まではほぼ通過地に過ぎませんでした。というのは、私は大きな町があまり好きではないので・・・。
しかし、その町に3人のメル友を持ち、彼女達にいろいろな所を案内されるにつれて好きな町になってきました。今では、マルセイユのみの滞在旅行でも良いと思うようになりました。
プロヴァンスの最後の日、出張先から帰った彼女の夫も加わり、我々のホテルまで来てくれて、帰途に着く我々を空港まで送ってくれました。

カフェで 空港で
        アヴィニョンのカフェで                 マルセイユ空港で
いつの日か、彼ら一家が日本に来ることがあったら、精一杯日本を案内しようと思います。
もっとも、それより早く私の方がまたマルセイユ、プロヴァンスを訪れて彼らに再び会うことの方が早いと思うのですが・・・・・。  (20057月筆)

その後、フランスを訪れるたびに彼らと会っています。
2014
年には一家で日本を訪れてくれました。もちろん私がずっと一緒に案内しました。よほど日本が気に入ったのか、その後毎年日本に来ています。


 
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